長野県小布施町の「北斎館」で開催されている特別展、「北斎を魅了した天舞う瑞獣 ―龍・鳳凰―」(2026年1月24日〜3月29日)。
「瑞獣(ずいじゅう)」とは、古来よりめでたいことが起こる前兆として現れるとされる神聖な想像上の生き物です。数々の傑作を残した葛飾北斎ですが、彼がその長い生涯の終盤、特に情熱を傾けたのがこの「龍」と「鳳凰」でした。
今回は、一人のアーティストとしての視点も交えながら、本展の見どころと北斎が瑞獣に託した想いを探っていきます。
1. 瑞獣:想像を超えた「リアリティ」への執念
北斎の描く龍や鳳凰を見て驚かされるのは、それが架空の生き物であることを忘れさせるほどの「骨格のリアリティ」です。
北斎は「目に見えるもの」を徹底的に写生する絵師でしたが、目に見えない瑞獣を描く際も、蛇の鱗、鳥の羽、鹿の角といった実在する動物のパーツを組み合わせ、あたかもそこに実在するかのような筋肉の躍動感を与えています。
本展で紹介されている『北斎漫画』や『富嶽百景』の中の瑞獣たちからは、北斎の「もし龍が目の前を横切ったら、体はこううねるはずだ」という執拗なまでの観察眼と想像力の融合を感じ取ることができます。
2. 富士を越え、天へと昇る魂の象徴「富士越龍」

本展の大きな見どころの一つが、北斎が90歳で没する直前に描いたとされる肉筆画「富士越龍(ふじこしのりゅう)」です。
真っ黒な雲をまとい、霊峰富士を悠然と越えて天へと昇っていく龍。この龍は、北斎自身の投影であると言われています。
「あと5年、いやあと10年命があれば、本当の絵描きになれたのに」
そう言い残して旅立った北斎にとって、龍は自らの魂をさらなる高み、つまり「神の領域の画業」へと運んでくれる象徴だったのかもしれません。墨の濃淡だけで表現された雲の渦と、鋭い龍の眼光には、最晩年とは思えない凄まじい気迫が宿っています。
3. 小布施の至宝:祭屋台天井絵の色彩美


北斎が80代で信州小布施を訪れた際に描いた、東町祭屋台の天井絵「龍」と「鳳凰」。この作品も本展の核となる重要なピースです。
- 「龍」:逆巻く波の中で力強くうねる姿。
- 「鳳凰」:深い藍色の背景に、鮮やかな赤や金が舞う優美な姿。
特筆すべきは、その鮮明な色彩です。岩絵具を贅沢に使い、何層にも塗り重ねられた色は、180年以上の時を経た今もなお、見る者を圧倒する輝きを放っています。日本画を描く身としては、この色の「厚み」と「配置の妙」こそが、北斎が小布施で見出した自由な境地を物語っているように感じます。
4. 現代に息づく北斎の遺伝子
今回の展覧会では、北斎の図案をモチーフに、現代の職人たちが制作した漆芸や和更紗などの工芸品も展示されています。
北斎が描いた瑞獣のフォルムは、時代を超えてクリエイターたちのインスピレーションを刺激し続けています。私たちが今、AIやデジタルツールを使って表現を模索しているのと同じように、北斎もまた、当時の最先端の画材と技法を駆使して「新しい美」を追求し続けていたのです。
【裏話】天才・北斎のこだわりと、最強のパートナー
今回の展示作品の背景には、北斎という男の凄まじい執念と、それを支えた家族の物語が隠されています。
現場の職人を泣かせた「鬼監督」の一面
小布施の祭屋台制作において、北斎は単に天井絵を納めるだけの絵師ではありませんでした。屋台全体のプロデューサーのような立場で、彫刻師に対しても「ここはこう直せ!」「波しぶきはこう跳ねるんだ!」と何度も細かく修正を指示したという記録が残っています。 80代半ばにしてその衰えないこだわり。現場の職人たちは相当なプレッシャーを感じたはずですが、その「妥協のなさ」が、180年以上経った今も色褪せない屋台の迫力を生んだのです。
娘・応為(阿栄)との切磋琢磨
北斎の絶筆とされる「富士越龍」ですが、実は娘の応為(阿栄)も、ほぼ同じ構図の絵を残しています。どちらが先に描いたのかは今も謎のままですが、父と娘が隣り合わせで筆を執り、「どちらがより力強い龍を描けるか」と競い合っていた姿が目に浮かびます。 北斎は生前、「(色の美しさでは)阿栄にはかなわない」と漏らしたと言われています。最晩年の北斎が放ったエネルギーは、この最強のライバルでありパートナーだった娘の存在があってこそ、維持されていたのかもしれません。
鳳凰の「羽」に宿る色彩の共演

東町祭屋台の「鳳凰図」に見られる、鮮烈な色彩。深い「ベロ藍」の背景に浮かび上がる鮮やかな赤や金は、今見ても全く古さを感じさせません。 一説には、色彩感覚に特に優れていた応為が着彩の多くを支えていたとも言われています。「北斎のダイナミックな線」と「応為の光を捉える色彩」。この二人の才能が融合して、究極の瑞獣が完成したのだと想像しながら見ると、一枚の絵がよりドラマチックに感じられます。
結びに:描くことは、祈ること
「瑞獣」というテーマを通して北斎の作品を辿ってみると、彼にとって描くことは単なる写生ではなく、世界の平和や自身の向上を願う「祈り」に近かったのではないかと感じます。
天を舞う龍や鳳凰の姿に、北斎は何を見たのか。 この春、小布施の地でその息遣いを感じてみてはいかがでしょうか。
展覧会情報
- タイトル:北斎を魅了した天舞う瑞獣 ―龍・鳳凰―
- 場所:北斎館(長野県上高井郡小布施町大字小布施485)
- 会期:2026年1月24日(土)〜3月29日(日)
- 公式サイト:北斎館 公式ページ